世界遺産候補エリア内の教会見学は
【事前連絡】をお願いします。
※大浦天主堂の見学には、事前連絡は必要ありません。

■事前連絡番号

教会見学に当たってのお願い

教会堂は「祈りの場」ですので、見学マナーを守り、厳粛な雰囲気の中で心静かにお過ごしください。
また、教会行事(ミサ、葬儀等)により見学できない場合や、一度に多くの見学者を受け入れられない場合もあるため、見学を希望される際には【事前連絡】をお願いしています。なお、田平天主堂は、世界遺産候補エリア内の教会堂ではありませんが、世界遺産候補に関連する重要な文化財として、多くの皆様にご訪問いただいている現状を踏まえて、同様に事前連絡をお願いしています。

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野崎島の集落跡

野崎島は、小値賀地区に属し、上五島とは目と鼻の先に位置する。江戸時代後期、中央部の野首には、五島藩の要請で大村藩の外海から五島に渡った潜伏キリシタンが再移住した。また、南部の舟森には、小値賀の船問屋が、明日にも処刑される3人のキリシタンを大村藩の海岸で見つけて送り届け、集落が形成された。


1865年の信徒発見の翌年、野首の信者が大浦天主堂を訪ね、一部は翌年に洗礼を受けた。しかし、当時は禁教下で、野首と舟森の50数人全員が平戸に護送され、拷問を受けた。翌年に帰されるが、家財道具はすべて略奪されていたという。


1883年、野首に木造教会ができる。さらに、17戸の信者はキビナゴ漁などで資金を蓄え、1908年、鉄川与助の設計施工でリブ・ヴォールト天井を持つ堂々たるレンガ造り教会が完成した。しかし、戦後は過疎化が進み、1971年に最後の信者が島を離れる。その後、野首教会は小値賀町が改修し、2011年には「小値賀諸島の文化的景観」として国の重要文化的景観に選定されている。

長崎本土から約100km西には五島列島(※1)があり、その北には小値賀(おぢか)島、宇久(うく)島が連なっている。中世には松浦党に属する宇久氏(※2)がこの一帯で勢力を伸ばし、江戸時代には福江島を拠点に五島列島を支配する福江(五島)藩となった。一方、宇久・小値賀は平戸藩に属した。

野首(のくび)教会が建てられた野崎島は、小値賀を構成する大小17の島のうち、小値賀島についで大きい。古くから知られ、遣唐使の時代、704年には沖ノ神島神社が建立されている。キリスト教については、近くの納島(※3)では布教が行われていたが、野崎島については不明。


野崎島には非キリシタンの集落があったが、江戸時代後期に2つのキリシタン集落ができる。島の中央部に位置する野首地区は、福江(五島)藩の要請で外海(大村藩)から海を渡った人々が再移住したのが始まりである。1家族は最初は久賀(ひさか)島に居付いたが生活が苦しく、その子が天草を経て野崎島の野首に移った。福江島の三井楽(みいらく)から移ってきた者もいる。島の南部の舟森(瀬戸脇)地区は、小値賀の船問屋が、明日にも処刑される3人のキリシタンを大村藩の海岸で見つけ、魚網の下に隠して送り届けたことにより、無人であった舟森に集落ができた。


信徒発見である1865年の翌年、噂を聞いた野首の4人が大浦天主堂にプティジャン神父を訪ね、翌年の1867年には戸主ではない6人がクザン神父から大浦で洗礼を受けた。他の人々も希望したが、当時、戸主は神棚設置を義務付けられており、カトリックになると置けなくなることに深く悩んだ。どうせなら役人のいない無人島に行くことを考え、1868年に6人が日本海の竹島を目指して探検に漕ぎ出す。しかし、あちこちを漂流した結果、鹿児島の孤島に漂着して島民に助けられる。出港半年後、長崎に戻った一行は、プティジャン神父に励まされて野崎島に帰ると、死んだものと思われて位牌があったという。そのうちキリシタンの噂を聞いた役人らが調べに来るが、それを承知のうえで仏壇・神棚を焼き捨てたことをきっかけに、野首と舟森の50数人全員が平戸に護送され、拷問を受けた。翌年に帰されるが、家財道具はすべて略奪されていたという。


1882年、舟森に瀬戸脇教会ができ、翌年には野首にも教会(初代)が設置された。その後、野首では本格的教会を建てるため、17戸の信者は集団炊事を行い、食事は1日2食に減らして節約し、キビナゴ漁などで資金を蓄える。1908年、鉄川与助の設計施工で、リブ・ヴォールト天井を持つ堂々たる野首教会が完成した。鉄川としては初のレンガ造り教会で外観や構造は洋風だが、壁の内部は曲線を出すため、竹と縄で骨組みを作って土で固め、漆喰(しっくい)仕上げにするなど日本の伝統的な建築技術も生かされている。


1945年の終戦当時、野首に24戸、舟森に34戸の信者がおり、1947年には小教区として独立し、司祭が定住する。しかし、戦後の高度成長で若者が都会に流出してしまい、両集落とも離村が相次いだ。1971年には最後まで残っていた野首の6家族が島を離れ、信者はいなくなった。その後、荒廃していた野首教会は1986年に小値賀町に寄贈され、町ではこれを修復し、1989年に長崎県の有形文化財に指定された。世界遺産候補「野崎島の野首・舟森集落跡」は、このような潜伏時代の様子を今に伝える野首・舟森集落跡とそれをつなぐ里道、復活を象徴する旧野首教会堂等によって形成される集落景観である。この範囲は2011年に国が選定した「小値賀諸島の文化的景観」に含まれている。


(※1)南から福江島、久賀島、奈留島、若松島、中通島
(※2)1592年に五島氏に改名
(※3)松浦氏の重臣でキリシタンであった籠手田氏の所領

住所 北松浦郡小値賀町野崎郷(旧野首教会)
ミサの時間 なし
見学受付時間

【旧野首教会】 9:00~14:00


・見学をご希望の場合は、おぢかアイランドツーリズムへご連絡ください。
 お問合せ・連絡先  TEL 0959‐56‐2646
 → http://ojikajima.jp/

交通アクセス

【アクセス参考図】

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周辺散策マップ

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この資産へのアクセス、周辺散策の参考としてご利用ください。

旧野首教会の背後
旧野首教会の背後
旧野首教会の正面
旧野首教会の正面
野崎島近景
野崎島近景

教会を訪れる。構成資産候補紹介

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