世界遺産候補エリア内の教会見学は
【事前連絡】をお願いします。
※大浦天主堂の見学には、事前連絡は必要ありません。

■事前連絡番号

教会見学に当たってのお願い

教会堂は「祈りの場」ですので、見学マナーを守り、厳粛な雰囲気の中で心静かにお過ごしください。
また、教会行事(ミサ、葬儀等)により見学できない場合や、一度に多くの見学者を受け入れられない場合もあるため、見学を希望される際には【事前連絡】をお願いしています。なお、田平天主堂は、世界遺産候補エリア内の教会堂ではありませんが、世界遺産候補に関連する重要な文化財として、多くの皆様にご訪問いただいている現状を踏まえて、同様に事前連絡をお願いしています。

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平戸の聖地と集落

大航海時代にアジアに進出したポルトガル船は、1550年に平戸に到達した。その情報を得たフランシスコ・ザビエル一行は薩摩から平戸に移り、領主の許可を得て布教を始め、生月(いきつき)島を含む平戸一帯で信者は約5,000人に達した。


禁教の時代を迎え、多くは棄教したが、生月島や平戸島西岸などでは信仰を守る信者もいた。彼らは潜伏キリシタンと呼ばれ、神父不在の下で秘密の信仰組織を運営し、オラショ(祈り)を唱え、納戸に隠したキリストや聖母マリアの絵を拝んだ。


また、山や島を聖なる場所として崇敬した。かつて信者が処刑された中江ノ島は、聖地「サンジュワン様」などと呼ばれ、その島の水は聖水とされている。安満岳(やすまんだけ)には神社仏閣があり、キリスト教徒と鋭く対立したが、禁教時代には神仏信仰と並存するようになってキリシタンの聖地ともなった。かつて1561年に教会が建てられた春日集落は、潜伏キリシタンが多く、安満岳山頂に参詣道が続いている。これら、中江ノ島、安満岳、春日集落が世界遺産候補「平戸島の聖地と集落」で、2010年に「平戸島の文化的景観」として国の重要文化的景観に選定されている。

九州北西部の松浦・平戸周辺では、各地の豪族が連合し、水軍で有名な松浦党を形成していたが、その中の平戸松浦氏が次第に勢力を伸ばしていった。1543年に松浦隆信(たかのぶ)が平戸松浦氏の当主になると、1550年にポルトガル船が平戸に入り、ザビエルがトルレス神父とフェルナンデス修道士を伴って薩摩から平戸に移った。南蛮貿易を希望する隆信は、当初はキリスト教に好意的で、本格的布教が始まる。隆信の重臣である籠手田(こてだ)安昌・安経親子、壱部勘解由(いちぶかげゆ)は自身が洗礼を受け、その領地である平戸島西海岸から生月(いきつき)島などでは領民が一斉改宗する集落もあった。1571(元亀2)年のヴィレラ神父の書簡によると、平戸周辺を含め14の教会があり5,000人の信者がいたとされる。


しかし、寺社との確執が強まったことから、隆信は次第にキリスト教を嫌うようになり、1558年にヴィレラ神父が平戸領内から追放された。このとき、神父不在でもキリスト教団を維持できるよう、神父の代役を務める7人の「慈悲役者」を定め、これがコンフラリア(※1)となって潜伏時代の信仰組織になったとの見方もある。また、信心道具として配ったメダイなどが、後に御神体信仰に結びついたのではないかとされる。その後、再び神父による布教が行われるが、秀吉の伴天連(ばてれん)追放令が出されると、1568年に家督を継いだ鎮信(しげのぶ)は弾圧を強め、家臣の籠手田氏に棄教を迫った。このため、籠手田氏は家来約600人を率いて1599年に長崎に脱出し、平戸のキリシタンは有力な守護者を失った。これ以降、1609年にガスパル西玄可(にしげんか)が処刑されるなど殉教が続き、キリシタンは次第に姿を消していった。


そのような中、生月島や平戸西海岸等では、潜伏して信仰を続ける者もいた。彼らは自分達で秘密の組織を運営し、オラショを唱え、納戸に隠したキリストや聖母マリアの絵を拝み、山や島を聖なる場所として崇敬していた。この時代の様子を今に伝えるのが、世界遺産候補「平戸島の聖地と集落」で、中江ノ島、安満岳(やすまんだけ)、春日集落等によって構成される独特の集落景観が残されている(※2)。


中江ノ島は、生月島と平戸の間にある無人島。田平で処刑されたカミロ神父の布教を助けたヨハネ(ジュワン)坂本左衛門ら4人が1622年に、2年後には家族もここで処刑された。潜伏キリシタンはこの殉教地を「サンジュワン様」などと呼び、聖地として日頃から拝んでいる。また、中江ノ島に渡り、岩間に湧く聖水を汲む「お水取り」も行っている。


安満岳は、平戸島の最高峰(標高534m)で、山頂には白山権現(※3)と西禅寺(※4)があった。仏教勢力とキリスト教とが鋭く対立し、仏像を燃やされたことを領主・隆信に訴えてヴィレラ神父を国外追放すると、逆に籠手田氏の進言で仏僧の首領が所領を追放された。禁教時代に神仏信仰との並存が行われるようになると、この山はキリシタンの聖地ともなり、神寄せのオラショに出てくる「奥の院様」は、薩摩塔(※5)を指すと考えられている。麓の春日集落からの参詣道もある。


春日集落は籠手田氏の所領で、1561年にはアルメイダ修道士が訪れて教会を建て、「清浄で荘厳な場所にあり、海陸の眺望が美しい」と記している。禁教の時代を迎えても、潜伏キリシタンとして信仰を守り、棚田で米を生産して生計を維持した。海から山にせり上がる棚田や家屋配置、道などは江戸時代のまま現在に伝わっている。なお、春日集落は、明治期に入って禁教解除後も潜伏時代の信仰を維持する「かくれキリシタン」が多かったが、近年では過疎化により組織的な行事は途絶えている。


(※1)信心会
(※2)これらは、2010年に国が選定した「平戸島の文化的景観」に含まれている
(※3)現白山比賣神社
(※4)現在は廃寺
(※5)中国製の石塔

 

住所 長崎県平戸市春日町(春日集落)、主師町(安満岳)、下中野町(中江ノ島)
交通アクセス

【アクセス参考図】

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【周辺散策マップ】

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この資産へのアクセス、周辺散策の参考としてご利用ください。

春日集落
春日集落
中江ノ島の遠景
中江ノ島の遠景
「春日集落と安満岳」と「中江ノ島」の位置図
「春日集落と安満岳」と「中江ノ島」の位置図

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