ホーム > 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産とは > 長崎の教会建築の特徴
東西建築技法の融合
長崎の教会群の多くは、西洋技法をもたらした西洋人神父の指導と日本人大工の伝統的技術が融合し、実に多様な様式と高い造形意匠が特徴です。また、内部装飾には長崎に多いツバキをもとにした模様を取り入れるなど地域特性があり、世界的に珍しい独特な建築物となっています。
歴史を追ってみると、江戸時代以前の教会は禁教で破壊されましたので、現存しません。現在の建物で最も古いのが、1864年に建てられた大浦天主堂です。これは、外国人用に造られ、何度か補修されましたが、内部の主要部分は創建当時の姿を保ち、国宝に指定されています。
1873年にキリシタン禁制の高札が撤去されると、カトリックに復帰した潜伏キリシタンにより、教会建築の気運が高まりました。主に木造平屋で、多くは老朽化等で失われましたが、旧五輪教会(浜脇教会を移転)、江袋教会、出津教会、そして大野教会が現存します。
1889年の大日本帝国憲法で信教の自由が認められ、信者も増加すると、レンガ造りの堂々とした教会が建てられます。宝亀教会が走りで、黒島教会と堂崎教会はフランス人神父の指導で立派な教会に仕上げっています。
この頃になると、日本人大工による設計も始まります。中でも、上五島出身の鉄川与助は、小学校を出て大工修業中にフランス人神父から西洋技法を取得し、27歳で鉄川組の棟梁として自立。1908年には野首教会、1910年に青砂ヶ浦教会、1917年に田平天主堂とレンガ造りの著名な教会を建設します。この他にも、木造では江上教会、珍しい石造りでは頭ヶ島天主堂、鉄筋コンクリートを取り入れたものでは1935年の﨑津教会など、バラエティに富んだ建築を次々と生み出しました。世界遺産エリア(12の構成資産)のうち、実に4教会を手掛けています。
こうした歴史の風雪に耐え、信仰と共に継承されてきた多様な教会を鑑賞してください。