世界文化遺産エリア内の教会見学は
【事前連絡】をお願いします。
※大浦天主堂の見学には、事前連絡は必要ありません。
※対象となる教会は、一覧表示に掲載の9つの教会です。

■事前連絡確認

教会見学に当たってのお願い

教会堂は「祈りの場」ですので、見学マナーを守り、厳粛な雰囲気の中で心静かにお過ごしください。教会行事(ミサ、葬儀等)により見学できない場合や、一度に多くの見学者を受け入れられない場合もあるため、見学を希望される際には【事前連絡】をお願いしています。
なお、大野教会堂については、外観のみの見学になります。
田平天主堂は、世界文化遺産に関連する重要な文化財として多くの皆様にご訪問いただいている現状を踏まえ、同様に事前連絡をお願いしています。

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田平天主堂

田平天主堂は、世界文化遺産エリア内の教会堂ではありませんが、世界文化遺産に関連する重要な文化財として、多くの皆様にご訪問いただいている現状を踏まえて、同様に事前連絡をお願いしています。

田平(たびら)教会は、1886年以降、黒島と出津(外海)から移住して来た信者が造り上げた。両地域とも潜伏キリシタンが多かったが、明治になってカトリックに復帰し、フランス人神父が常駐して教会も建てられた。その後、人口が増えると、神父が田平に土地を購入して数家族が移り、次第に移住者が増えていった。

最初は民家を仮聖堂としていたが、本格的な教会の建設を計画する。信者の積立金に県内各地での募金やフランス人篤志家の大口寄付を加えて資金を調達し、信者の献身的な労働奉仕により、1918年に念願の教会ができた。設計施工は鉄川与助で、多彩なレンガ積み手法、ススを塗った黒レンガによる装飾など、与助のレンガ造教会の最高峰とも言われる。正面には八角形のドームを頂く鐘塔がそびえ、内部のリブ・ヴォールト天井も本格的である。


教会は、平戸瀬戸を見下ろす高台に立地する。司祭館や門柱、石段、石垣などが残り、周囲には墓地や畑が広がるなど、歴史的環境がよく保存されており、2003年に国の重要文化財に指定された。

田平(たびら)地区は、平戸瀬戸をはさんで平戸島と向かい合う。このため、平戸との関係が強く、松浦党の流れを汲む峯五郎披(ひらく)が田平に「里城(さとじょう)」を築き、一帯を支配した。その後、松浦党内では平戸松浦氏の勢力が強くなり、1192年に里城は平戸松浦氏の支城となった。


キリスト教との出会いは、松浦隆信の重臣である籠手田(こてだ)氏が1557年に洗礼を受け、平戸一帯に布教が進んだころ、田平にも拡がったとみられているが確証はない。禁教令後は、1614年にマカオに追放されたカミロ神父が日本に潜入し、平戸やその周辺で活動していたが、宇久島で捕縛されて1622年に田平で火あぶりとなった(※1)。潜伏キリシタンについての記録は少ないが、文久(1861年~)のころ、武士の西村国作が役人に見破られ、長崎の稲佐に逃れたという。また、1873年にキリシタン禁制の高札が撤去されたころ、田平では10戸の信者が確認されたが、当時は信者を見る周囲の目が厳しく、翌年に部落が用意した小舟で追放されたとの話も残されている。


現在の田平教会のルーツは、明治時代、主に黒島と出津からの入植者である。佐世保の九十九島の一つである黒島は耕地が狭いため、黒島教会のラゲ神父は新天地を求め、1886年に田平の横立(よこたつ)に土地を購入し3家族を移住させた。同年、外海・出津教会のド・ロ神父も同所に土地を求め、4家族が入植。1888年江里山に3町3反余の山林を買い求め9家族を移住させたが、うち1家族は大村へ転出した。1893年には現教会周囲の瀬戸山に出津教会から3家族が移った。その後、広々とした田平は開拓地として有望であるとの話が広まり、自発的に移住する者も増え、次第に集落を形成していった。当初は、小麦中心の農作であったが、そのうち夜間に漁にも出るようになったという。


瀬戸山地区に信者が増えると、民家を仮聖堂とし、1903年には出津の伝道士・中村近蔵の寄付を得て増築した。1914年に初の主任司祭として着任した中田藤吉神父は、本格的な教会の建設を決意する。これまでに積み立てられた建築資金を基に、五島、紐差(ひもさし)、長崎等から募金を集め、紐差教会のマトラ神父の協力でフランス人篤志家からの大口寄付を得て、建設に着工する。信者も労働奉仕を行い、船着場からレンガを荷揚げし、レンガをつなぐ接着剤(※2)用の石灰を作るため貝殻を持ち寄って焼いた(※3)。途中、敷地工事中に作業場が崩壊し、6人が生き埋めとなって2人が死亡する悲劇に見舞われたが、1918年に念願の新教会が完成した。


設計施工は鉄川与助。与助最後のレンガ造り教会で、レンガ積手法もイギリス積みを基本に変化をもたせ、濃色煉瓦を小口積みにし装飾的に配置することで、複雑で美しいデザインになっている。正面には八角形のドームを頂く鐘塔を配し、鉄川のレンガ建築の最高峰とも称されている。内部のリブ・ヴォールト天井も本格的で、本祭壇の天使像は黒島教会から贈られた。1931年にはフランスからアンジェラスの鐘を取り寄せている。


教会は、平戸瀬戸を見下ろす高台に立地する。司祭館や門柱、石段、石垣などが残り、周囲には墓地や畑が広がるなど、歴史的環境がよく保存されている点も貴重で、2003年、国の重要文化財に指定された。



(※1)現在の「田平の焼罪(やいざ)の丘」
(※2)アマカワ
(※3)教会敷地内に焼き跡が残っている

 

住所 長崎県平戸市田平町小手田免19
ミサの時間 <ミサ>
・月曜・水~金曜 6:00~6:30
・土曜 18:30~20:00
・日曜 6:00~6:30 、 8:30~10:30
見学受付時間

【重要】

2023年5月14日(日)10:30(ミサ後)~内堂拝観可能となります。

※横入り口より通路側見学となり、着席はできません。マスクを着用ください。

 

9:00~12:00/13:00~17:00 教会守常駐


見学をご希望の場合は、当センターへ事前連絡をお願いします。
http://kyoukaigun.jp/reserve/list.php


・ミサ・葬儀等の教会行事の際には、内堂は見学できません。

・定例ミサ等の時間は、上記の「ミサの時間」でご確認ください。

・葬儀等の場合は、トップページのトピックスにてお知らせします。
 → http://kyoukaigun.jp/news/detail.php?id=39


※教会敷地には見学者用のトイレはありません。近隣駐車場等のトイレをご利用ください。周辺散策マップにてご確認をお願いいたします。 

交通アクセス

【アクセス参考図】

・ページ左側の青ボタン(PDF)

【周辺散策マップ】

・ページ左側の緑ボタン(PDF)

この資産へのアクセス、周辺散策の参考としてご利用ください。

出津教会堂

 

田平天主堂の正面
田平天主堂の正面
田平天主堂の背面
田平天主堂の背面
田平天主堂の遠景
田平天主堂の遠景

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