日野江城跡
島原半島一帯を支配する(肥前)有馬氏は、晴純の時代に勢力を伸ばし、有力な戦国大名になった。1552年、それを継いだ義貞はキリスト教や南蛮貿易といった新しい風を取り入れたが、佐賀の龍造寺氏の侵攻に脅かされるようになる。
1571年、領主となった有馬晴信は、当初はキリスト教に好意的ではなかった。しかし、龍造寺氏の攻撃が激しくなると、1580年に洗礼を受け、イエズス会から食糧や資金等の支援を受ける。また、薩摩・島津氏の援軍を得て沖田畷の戦いで龍造寺氏を破った。危機を脱した晴信は、自領の浦上村をイエズス会に寄進し、有力キリシタン大名大村純忠や大友宗麟亡き後、伴天連追放令が出ても宣教師らを庇護した。
日野江城は有馬氏の居城で、当時は海に面し、海面に朝日が名城だったという。1590年のイエズス会年報には「部屋はすべて黄金の品や典雅で華麗な絵画で飾られ、日本にこれほど壮麗な建築物があるとは考えてみなかった」と記されている。江戸時代に入ると有馬氏は失脚し、居城は島原城に移された。1982年、日野江城跡は日本キリスト教史における初期の中心地として、国の史跡に指定された。
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有馬(有間)氏は、その起源には諸説あるが、鎌倉時代には肥前国高来郡有間庄の地頭であったとされる。15世紀末には有馬貴純(たかずみ)が、島原半島一帯で力を蓄えて戦国大名の地位を築く。その孫の晴純(はるずみ)が1539年に領主になると、佐賀の一部(※1)まで領地を広げ、大村氏や松浦氏など近隣の領主に4人の息子を養子に送り込み、肥前最大の勢力を誇るまでに至った。しかし、1552年に家督を継いだ義貞(よしさだ)は、キリスト教や南蛮貿易といった新しい風を取り入れたが、佐賀で勃興した龍造寺氏に1563年の百合野の戦いで大敗し、衰退に向った。1570年に領主となった義純(よしずみ)は1年で急逝する。
1571年、領主となった晴信(はるのぶ)は、1580年にイエズス会の東洋巡察師ヴァリニヤーノ神父から洗礼を受ける(※2)。これは一段と激しくなる龍造寺氏の侵攻を抑止するためであるとされている。その後、龍造寺氏に日野江城を包囲された際には、イエズス会は城内にいる神父を支援するとの名目で食糧や資金等の支援を行った。1580年には、口之津港に入ったポルトガル船から軍事品(※3)を提供している。さらに晴信は、薩摩・島津氏の援軍も得て1584年の沖田畷(おきたなわて)の戦いで龍造寺氏を破った。危機を脱した晴信は、キリスト教に一段と傾倒し、自領の浦上村(長崎)をイエズス会に寄進するなど、伯父に当たる大村純忠と同様、有力なキリシタン大名となった。1580年に開かれていたセミナリヨ(※4)で学んだ4人の少年(※5)が天正遣欧使節として派遣されてローマ教皇に謁見し、グーテンベルグ印刷機を持ち帰った。大友宗麟や大村純忠が没し、秀吉が伴天連(ばてれん)追放令を出した後も、晴信は宣教師らを庇護し、キリシタン文化が花開いた。
日野江城は有馬氏の居城で、築城時期は鎌倉・建保年間との説もあるが、南北朝時代には形成されていたとされる。晴信の時代には、龍造寺氏との戦いの中で、1577年から1583年にかけて3度焼失し、造り直したとみられる。イエズス会の1590年々報では「大小の部屋はすべて黄金の品や典雅で華麗な絵画で飾られていた。(中略)みごとな出来ばえとなった城郭をみたポルトガル人たちは、日本にこれほど壮麗な建築物があるなどとは考えてみなかった」と当時の日野江城と晴信の館について述べている。また、1595年に日野江城に招かれたスペイン商人は、「金色や薄い青色を使って何千という薔薇や自然の木々、雪をかぶった山脈、鷹や鹿が緻密に描かれ、すばらしい魅力とよろこびを与える」(要約)と賞賛、茶室や手入れの行き届いた庭園もあったという。
往時の日野江城は、江戸時代の絵図や近年の発掘などにより、標高78mの城山山頂の本丸を中心に、自然の地形を利用して二の丸、三の丸が築かれていたとみられる。その後の干拓で現在は海から離れてしまったが、当時は海のそばにあり、海に反射する日差しが輝く「日の入江」の名にふさわしい名城だったという。
江戸時代に入り、1612年の岡本大八事件で晴信は失脚し、その子・直純(なおずみ)も2年後に日向延岡藩に移る。その後は幕府領であったが、1616年に藩主となった松倉氏は島原城(森岳城)を造り、一国一城令によって日野江城と原城を廃城にした。日野江城跡は、日本キリスト教史における初期の中心地として、1982年に国の史跡に指定されている。
(※1)藤津郡
(※2)洗礼名プロタジオ
(※3)鉛と硝石
(※4)初等神学校
(※5)伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルチノ、中浦ジュリアン
住所 | 長崎県南島原市北有馬町戊 |
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