原城跡
原城は、日野江城の支城で、約3km離れた海岸の小高い丘に位置する。居城である日野江城を上回る規模で、海を背にした堅固な造りであった。しかし、徳川幕府が禁教を強める中、有力なキリシタン大名であった有馬晴信は、岡本大八事件をきっかけに1612年に斬首される。その後、原城は廃城となった。
再び脚光を浴びるのは、島原天草の乱である。島原・天草両地区で圧政が続く中、台風や日照りで餓死者が続出、農民やキリシタンらの怒りが頂点に達する。1637年、16歳の天草四郎(※)を総大将として蜂起した。当初は一揆勢が優勢であったが、やがて守勢に転じ、天草勢も加わり3万人余が原城に籠城する。幕府軍は12万人で取り囲んだが、守りが堅固で何度も攻撃に失敗し、鎮圧に成功したのは4ヵ月後であった。
その後、城は破壊され、一揆勢の無数の遺体が埋められた。1938年、原城跡は島原天草の乱の舞台として、国の史跡に指定された。最近の発掘調査で無数の人骨とともに、鉄砲玉を鋳つぶして作った十字架などが大量に出土している。
(※)関ヶ原の戦いで処刑されたキリシタン大名・小西行長の家来の子
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原城は、日野江城の支城で、約3km離れた海岸の小高い丘に築かれた。古くから小規模な施設はあったが、1496年に有馬貴純(たかずみ)が本格的な城を建てたとの説がある。晴信(はるのぶ)の時代には、この城を居城にするための工事を行い、家臣や教会の建設も進めていたようで、宣教師の1604年の記録では「教会の移転を援助するというので、殿が新しい城に移るときには私たちも従う」(要約)旨の記述がある。しかし、実際に移転した記録はなく、2度にわたる大型台風で大きな被害を受け、移転できなかったとの見方がある。
原城は、本丸が有明海に面した標高31mの崖の上にあり、二ノ丸、三の丸、天草丸、出丸などが築かれている。周囲は4㎞に及び、居城である日野江城を凌ぐ規模を誇った。海を背にした天然の要害で、国内最大級の虎口(正面玄関)をくぐると城道が最大10回も曲がるなど、複雑で堅固な造りであった。しかし、有馬氏失脚後、領主となった松倉氏は新たに島原城を築城し、一国一城令で原城は廃城となった。城の石垣の一部は、島原城用に運んだとされるが、城の大枠は残された。
再び脚光を浴びるのは、島原天草の乱である。島原・天草両地区で圧政が続く中、台風や日照りで餓死者が続出、農民やキリシタンらの怒りが頂点に達し、1637年、16歳の天草四郎(益田四郎時貞)を総大将として蜂起することとなった。四郎は、小西行長の家来であった浪人の息子で、幼いころから才知に優れ、長崎で学んだ際に洗礼を受けてジェロニモを名乗ったとみられる(※1)。
島原一揆勢は代官を殺害し、島原城を包囲した。天草一揆勢は、富岡城を落城寸前に追い込んだが攻めきれず、やむなく海を渡って島原の原城に転進。島原勢と合加わり、最終的には37,000人が籠城する。幕府もこの乱を重視し、上使として板倉重昌を派遣するが、不十分な体制で攻撃を仕掛け、自身が討ち死にする。後任の松平信綱は、兵糧攻めに加え、平戸のオランダ商館長に依頼してオランダ船から砲撃するなど、一揆勢を追い詰めたうえで総攻撃を行い、4ヵ月以上に及ぶ島原の乱を鎮圧する。一揆勢は、寝返った山田右衛門作(えもさく)を除いて殺され、数千人の首が現地でさらされ、天草四郎ら指導者4人は長崎の出島でさらし首になったとされる。城は徹底的に破壊され、一揆勢の無数の遺体が埋められた。
幕府は、この乱を機に禁教を徹底する一方、民心の安定にも配慮するようになる。島原では、年貢の過酷な取り立てを行った松倉氏は斬首され、その後を治めた高力(こうりき)氏は、1年間の年貢免除や瀬戸内地方からの移民受入れなどで、島原の復興を担った。現在盛んなそうめんの製造は、この時に小豆島などからの移住者が持ち込んだとされる。天草でも、藩主の寺沢堅高(かたたか)は天草の地を没収され(※2)、原城攻めに参加した鈴木重成が善政を行うとともに、幕府に年貢米の減免を要請し、聞き入れられなかったことから自刃(※3)、その養子の鈴木重辰の時に年貢半減が実現した。天草には重成らを祀った鈴木神社が建立されている。
時代は下り、1766年に有馬村願心寺の注誉住職と各村の庄屋らが、散乱する骨を集めて供養する「ほねかみ地蔵(※4)」を建てた。最近の発掘調査で無数の人骨とともに、鉄砲玉を鋳つぶして作った十字架などが大量に出土している。原城跡は島原天草の乱の舞台として、1938年に国の史跡に指定された。
(※1)長崎生まれ説もある
(※2)後に自殺
(※3)病死説もある
(※4)骨を噛み締めるとの意味
住所 | 長崎県南島原市南有馬町乙 |
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