世界文化遺産エリア内の教会見学は
【事前連絡】をお願いします。
※大浦天主堂の見学には、事前連絡は必要ありません。
※対象となる教会は、一覧表示に掲載の9つの教会です。

■事前連絡確認

教会見学に当たってのお願い

教会堂は「祈りの場」ですので、見学マナーを守り、厳粛な雰囲気の中で心静かにお過ごしください。教会行事(ミサ、葬儀等)により見学できない場合や、一度に多くの見学者を受け入れられない場合もあるため、見学を希望される際には【事前連絡】をお願いしています。
なお、大野教会堂については、外観のみの見学になります。
田平天主堂は、世界文化遺産に関連する重要な文化財として多くの皆様にご訪問いただいている現状を踏まえ、同様に事前連絡をお願いしています。

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久賀島の集落

久賀(ひさか)島は、下五島の中心である福江島の北に位置する。1566年、五島でキリスト教布教が始まり、久賀島にも信者が多かったが、禁教令によってキリシタンは途絶えた。1797年以降、五島には外海(※1)の潜伏キリシタンが移住し、久賀島でも再びキリシタン集落ができる。


信徒発見後、浦上キリシタンに対する迫害「浦上四番崩れ」が起るが、五島でも明治元年(1868)9月以降「五島崩れ」が吹き荒れた。そのきっかけは久賀島で、信仰を表明すると200人余が6坪ほどの牢屋に8ヵ月間閉じ込められ、子どもを含む42人(※2)が死亡した。



やがて禁教が解かれ、1880年になるとマルマン神父が下五島に常駐し、各地に教会を建てた。久賀島では1881年に浜脇教会が建てられ、1931年に五輪教会として移築された。そして半世紀が経ち、傷んだ五輪教会を取り壊して跡地に新教会を造ることになったが、解体寸前、貴重な文化財を守ろうとの声が起こり、新教会は横に造られた。旧教会は、瓦葺木造ながらリブ・ヴォールト天井があり、初期の木造教会建築の代表例として、1999年に国の重要文化財に指定された。


(※1)大村藩
(※2)獄中39人

下五島に属する久賀(ひさか)島は、福江島の北に位置する。五島へのキリスト教布教は、1566年にアルメイダ修道士らによって始まり、1567年に領主の宇久純定(うくすみさだ)の子・純尭(すみたか)がモンチ神父によって洗礼(※1)を受けたことから、次第に広まった。久賀島を支配する久賀(くが)氏(※2)も熱心なキリシタンで、久賀島の深浦、蕨、市小木などの地区に信者が多かったとされる。しかし、1626年以降、福江(五島)藩は本格的な取締りを行い、キリシタンは途絶えていった。


1797年、福江(五島)藩は荒地を開墾するため大村藩に農民の移住を要請すると、外海地方から108人が福江島の六方(むかた)の浜に上陸し、楠原などに入植した。その後3,000人ほどが海を渡るが、その多くは潜伏キリシタンで、五島各地にキリシタン集落が広がっていった。久賀島のキリシタンもこの時期に外海から渡ってきたとされる。


大浦天主堂での信徒発見後、浦上キリシタンに対する迫害「浦上四番崩れ」が起るが、五島でも「五島崩れ」が全域に吹き荒れた。そのきっかけは久賀島である。長崎で洗礼を受けた信者らが、1868年に信仰を明らかにしたところ、代官は約200人を捕縛し、主だった者23人を福江に送って拷問を加えた。しかし、福江(五島)藩は富江領との合併問題(※3)が勃発したため、久賀島に差し戻された。その後、代官は6坪ほどの牢屋に200人余を8ヵ月間閉じ込め、朝夕に一片のサツマイモしか与えなかったため、子どもを含む42人(※4)が死亡した(※5)。プティジャン神父はその惨状を本国フランスに伝え、キリシタン弾圧は外交問題にまで発展する。こうして、1873(明治6)年にはキリシタン禁制の高札が撤去され、信教の自由が黙認されるようになった。


キリシタン禁制の高札が撤去されると、長崎からフレノー神父らが五島を訪れるようになる。1880年にマルマン神父が下五島に常駐するようになると、福江島に堂崎や三井楽(みいらく)、水の浦、立谷(たちや)などに教会が建てられた。久賀島には1881年に初の浜脇教会(※6)ができるが、これは立谷教会(※7)の建築に携った大工の平山亀太郎が手がけたとされる。1931年、浜脇教会を新教会に建て替える際、古い建物は五輪(ごりん)教会として移築されることになった。解体された旧教会の材料を木箱に入れて船で運んだが、荷揚げが大変だったと伝えられている。それ以降、五輪・早崎地区と蕨小島の信者の祈りの場として、大切に使われてきた。


そして半世紀後の1985年、潮風にさらされて傷んだことから、取り壊して跡地に新教会を建てることになった。しかし、解体寸前、貴重な文化財を守るべきとの声が起こり、信者の協力もあって、新しい教会はすぐ横のイワシ缶詰工場跡地に造られた。こうして2度の取壊しの危機を免れた教会は、1985年に福江市(※8)に寄贈され、大規模な修復工事が施される。瓦葺の木造平屋で、内部は板張りのリブ・ヴォールト天井など、初期の教会建築がそのまま残された貴重な建築物として、1999年に国の重要文化財に指定された。


なお、久賀島でも急速な過疎化が進み、島内の人口は1965年の2413人から2005年には523人に減少した。このため、大正年間に建てられた永里教会、細石流(ざざれ)教会、赤仁田教会が廃堂(※9)になっている。


(※1)洗礼名ルイス
(※2)宇久氏の家臣
(※3)富江騒動
(※4)獄中39人
(※5)1984年、この地に牢屋の窄(ろうやのさこ)殉教記念教会が建てられた
(※6)現在の旧五輪教会
(※7)現在は廃堂
(※8)現五島市
(※9)永里教会/1918年建築、細石流教会/1920年、赤仁田教会/1926年

 

住所 長崎県五島市蕨町993-11
ミサの時間 なし
見学受付時間

火曜~日曜 8:30~12:00/13:00~16:30 教会守駐在 

※月曜日と火曜日(隔週)は、自由見学となります。


・見学をご希望の場合は、当センターへ事前連絡をお願いします。
http://kyoukaigun.jp/reserve/list.php


※教会敷地には見学者用のトイレはありません。近隣駐車場等のトイレをご利用ください。周辺散策マップにてご確認をお願いいたします。 

交通アクセス

【アクセス参考図】

・ページ左側の青ボタン(PDF)

周辺散策マップ

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この資産へのアクセス、周辺散策の参考としてご利用ください。

旧五輪教会堂の側面
旧五輪教会堂の側面
旧五輪教会堂の近景
旧五輪教会堂の近景
五輪漁港の港内
五輪漁港の港内

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