世界文化遺産エリア内の教会見学は
【事前連絡】をお願いします。
※大浦天主堂の見学には、事前連絡は必要ありません。
※対象となる教会は、一覧表示に掲載の9つの教会です。

■事前連絡確認

教会見学に当たってのお願い

教会堂は「祈りの場」ですので、見学マナーを守り、厳粛な雰囲気の中で心静かにお過ごしください。教会行事(ミサ、葬儀等)により見学できない場合や、一度に多くの見学者を受け入れられない場合もあるため、見学を希望される際には【事前連絡】をお願いしています。
なお、大野教会堂については、外観のみの見学になります。
田平天主堂は、世界文化遺産に関連する重要な文化財として多くの皆様にご訪問いただいている現状を踏まえ、同様に事前連絡をお願いしています。

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頭ヶ島の集落

戦国時代、五島を支配した宇久純定がキリスト教布教を認め、一時は2,000人の信者がいたとされる。しかし、幕府の禁教令で、キリシタンは途絶えた。江戸時代後期の1797年、五島藩が大村藩に荒地開墾要員の移住を要請したことをきっかけに、外海から潜伏キリシタンが海を渡り、五島各地には再びキリシタン集落ができる。


上五島に属する頭ヶ島は、1859年頃から入植が始まり、役人の目もあまり届かないことから、潜伏キリシタンが増えた。1867年以降、上五島には長崎から密かに外国人神父が訪れるようになるが、翌年にはキリシタン弾圧「五島崩れ」が起きる。頭ヶ島でも主だった信者が拷問を受け、島民全員が島を一時脱出した。

1887年には木造教会が建てられ、1919年に現在の石造り教会が完成する。鉄川与助の設計施工で、近くの島から切り出した石を、信者らが船で運び組み立てた。内部は船底のような折上天井で、随所にツバキをモチーフにした花柄文様があしらわれ、「花の御堂」の愛称もある。珍しい石造で重厚な外観を持ち、華やいだ内部が特徴的な教会として、2001年に国の重要文化財に指定された。

戦国時代、五島列島は宇久氏(※1)が支配していた。第18代宇久純定(うくすみさだ)は、トルレス神父に宣教師の派遣を依頼し、1566年にはアルメイダ修道士と日本人修道士ロレンソ了斎(※2)が五島・福江島を訪れ、純定らの病気を治した。こうして、1567年に純定の子・純尭(すみたか)が洗礼を受け(※3)、1570年頃には五島の信者は2,000人にも達したとされる。しかし、幕府の禁教令で弾圧が強まると、キリシタンは途絶えたと考えられている。


その後、江戸時代後期の1797年、福江(五島)藩は荒地を開墾するため、大村藩に対して農民等の移住を要請。その時、外海地方から108人の移住者が渡り、その後を合わせると3,000人に及んだという。彼らは潜伏キリシタンであったため、五島各地には再びキリシタン集落ができ、上五島の鯛ノ浦もそのひとつである。


上五島に属する頭ヶ島(かしらがしま)は、幕末まで無人島であった。ここに人が住み着いたのは1859年で、島の開発を意図した1組の家族(※4)が代官の許可を得て入植した。翌年には上五島の鯛ノ浦から潜伏キリシタンが移住する。不便な島は役人の目もあまり届かず、宗門改めも行われなかったことから、潜伏キリシタンの入植が増え、1866年には16戸130人になったという。

1865年の信徒発見を機に、上五島の信者は大浦天主堂を訪れるようになる。また、上五島の宣教に多大な功績があったドミンゴ森松次郎の要請で、禁教下の1867年2月にクザン神父が密かに上五島・鯛ノ浦を訪れ、頭ヶ島にも立寄った。松次郎が頭ヶ島に移住して聖堂兼伝道士養成所を建てると、同年4月にクザン神父は頭ヶ島に数日滞在し、頭ヶ島には上五島各地から信者が集まったという。1868年に起きたキリシタン弾圧「五島崩れ」のときは、信者は松次郎を逃がしたうえ、自分達は死を覚悟して祈っていると、主だった者が役人に捕まって中通(なかどおり)島に連行されて拷問を受ける。3ヵ月後に島に帰された後も監禁されたため、監視の目をぬすんで全員で脱出し、島は一時無人となった。


1873年にキリシタン禁制の高札が撤去されると、1887年に松次郎屋敷跡に木造の教会ができる。現在の教会は、1919年、大崎神父の時代に鉄川与助の設計施工で建てられた。素材は石(※5)で、長崎の石工の指導で信者も加わり、近くのロクロ島等から岩を切り出し、番号を振って船で運び組み立てた。資金不足で中断し、昼は教会建築作業、夜はイカ漁をして資金を稼ぐなど、10年にわたる苦難に耐えた。

厚さ30㎝近い砂岩が、時とともに重厚さを醸し出し、同じ素材の門柱や石垣と合わせて美しい。正面中央にそびえる鐘塔は、上五島の大曾教会や平戸の田平教会と類似する。内部はリブ・ヴォールト天井ではなく、折上げ天井となっており、鉄川は平戸の紐差(ひもさし)教会でもこの手法を用いている。随所にツバキなどをモチーフにした花柄文様の装飾があしらわれ、「花の御堂」の愛称もある。小規模ながら西日本では珍しい石造教会で重厚な外観や華やいだ内部など斬新な構成の教会として、2001年に国の重要文化財に指定された。2年後には、境内にある司祭館(※6)や門柱、石垣、石段が追加指定されている。


なお、1981年に頭ヶ島に上五島空港が開設されると(※7)、頭ヶ島大橋が架けられ、上五島の中心である中通島と結ばれた。


(※1)後の五島氏
(※2)元琵琶法師
(※3)洗礼名ルイス
(※4)非キリシタン
(※5)砂岩
(※6)教会建設前に試験的に石造りで建てられた
(※7)現在、定期便は廃止

住所 南松浦郡新上五島町友住郷頭ヶ島638
ミサの時間 <ミサ>
第2&第4日曜 15:00~17:00
見学受付時間

9:00~17:00

①毎時・・団体見学のお客様、②毎30分・・個人のお客様

 

※お車は敷地付近の専用駐車場をご利用ください。(パーク&ライドは終了しました)

※車椅子利用客、その他身動きが不自由な方は天主堂手前の小型駐車場がご利用出来ますが、必ず誘導員の指示に従ってください。

 

・見学をご希望の場合は、当センターへ事前連絡をお願いします。
http://kyoukaigun.jp/reserve/list.php

・ミサ・葬儀等の教会行事の際には、見学できません。

・定例ミサ等の時間は、上記の「ミサの時間」でご確認ください。

・葬儀等の場合は、トップページのトピックスにてお知らせします。
http://kyoukaigun.jp/news/detail.php?id=39

※教会敷地には見学者用のトイレはありません。近隣駐車場等のトイレをご利用ください。周辺散策マップにてご確認をお願いいたします。 

交通アクセス

【アクセス参考図】

・ページ左側の青ボタン(PDF)

周辺散策マップ

・ページ左側の緑ボタン(PDF)

この資産へのアクセス、周辺散策の参考としてご利用ください。

頭ヶ島天主堂の正面
頭ヶ島天主堂の正面
頭ヶ島天主堂の近景
頭ヶ島天主堂の近景
頭ヶ島の近景
頭ヶ島の近景

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