世界文化遺産エリア内の教会見学は
【事前連絡】をお願いします。
※大浦天主堂の見学には、事前連絡は必要ありません。
※対象となる教会は、一覧表示に掲載の9つの教会です。

■事前連絡確認

教会見学に当たってのお願い

教会堂は「祈りの場」ですので、見学マナーを守り、厳粛な雰囲気の中で心静かにお過ごしください。教会行事(ミサ、葬儀等)により見学できない場合や、一度に多くの見学者を受け入れられない場合もあるため、見学を希望される際には【事前連絡】をお願いしています。
なお、大野教会堂については、外観のみの見学になります。
田平天主堂は、世界文化遺産に関連する重要な文化財として多くの皆様にご訪問いただいている現状を踏まえ、同様に事前連絡をお願いしています。

教会を訪れる

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外海の出津集落

かつて外海一帯には5,000人近い信者がいたが、江戸幕府の禁教政策により、大村藩は厳しく取り締まった。しかし、外海は大村城下から遠く、また出津(しつ)や黒崎などは比較的寛容な佐賀藩の飛び地も混じり、多くの潜伏キリシタンが存在した。


1865年3月の信徒発見から半年後、プティジャン神父が船で密かに出津を訪れ、信者と面会した。当時は禁教下で迫害があったが、200戸がカトリックに復帰する。1879年にド・ロ神父が出津に赴任し、信者と力をあわせ1882年に出津教会を完成させる。強い海風に耐えられるように屋根を低くした木造平屋で、漆喰(しっくい)の白い外壁は山の緑に映え、清楚なたたずまいが美しい。外国人神父の設計による初期教会として、2011年に国の重要文化財に指定された。


神父は慈善事業にも力を入れ、出津救助院などを創設して女性の自立を促した。2012年には「長崎市外海の石積集落景観」として国の重要文化的景観に選定されている。

長崎開港の翌年、1571年、外海一帯はキリスト教布教が始まり、一時は5,000人近い信者がいたとされる。その後、幕府の禁教令が出されると、キリシタンの拠点であった大村藩は幕府への忠誠を示すため、他藩より厳しく取り締まった。1629年、外海でも2人の神父が捕まるなど迫害が強まる。しかし、外海は大村城下から遠く、また出津(しつ)や黒崎などでは比較的寛容な佐賀鍋島藩の飛び地が入り混じっていたため、多くの潜伏キリシタンが存在した。1797年、大村藩は福江(五島)藩の要請に応じて農民を送るが、ほとんどは外海地方の潜伏キリシタンで、その後も含めると3,000人程度が五島に移住したという。

1865年2月の信徒発見から半年後の9月、プティジャン神父が神ノ島のミカエル忠吉の船で夜陰にまぎれて密かに出津を訪れ、多くの潜伏キリシタンたちは待ち焦がれた神父との出会いに感激したという。しかし、当時は禁教下あったため、役人や寺社等の迫害があったほか、誤解に基づく信者間の相互不信から一部の集落がカトリックに復帰しなかったが、260戸のうち200戸がカトリックに復帰する。1876年からはペリュー神父が仮聖堂を拠点に活動を行なった。1879年、ド・ロ神父が外海に赴任する頃には、信者が3,000人近くなっていたとされる。


ド・ロ神父は、1840年にフランスの貴族の家に生まれ、プティジャン神父の要請で1868年に長崎に入った。横浜に転任した後、1873年に長崎に戻り、羅典(らてん)神学校の建築に従事していた。出津に着任すると、本格的な教会を造ることを決意し、集落を見渡せる高台を選び、造詣の深い建築技術を活かして自ら設計する。10㎞離れた官有林から木材を買入れ、信者の労働奉仕で1882年に完成。木造平屋で、東シナ海から吹き上げる海風に耐えられるように屋根を低くしており、長崎県内の教会の中でも異彩を放っている。その後、1891年に祭壇部を増築。1909年には玄関部を拡張して、その上に鐘塔を造り、創建時の後ろの装飾塔とあわせて、2つの塔を持つ珍しい姿になった。漆喰(しっくい)の白い外壁は山の緑に映え、清楚なたたずまいが印象的。外国人神父の設計による希少な初期教会として、2011年に国の重要文化財に指定された。


ド・ロ神父は、修道女や結婚前の女性などを経済的に自立させるため、教育や授産事業を行う拠点として1883年に出津救助院を設けた。1階は授産場で、2階には修道院が設けられ、隣りに日本初のマカロニ工場を併設。フランスパンを焼いて長崎居留地の外国人に販売した。またそれ以前から、落花生の引き油を使って独特の風味を出したそうめんを手がけていたが、1889年に本格的に製造した。荒地を開墾し茶を栽培、「黒い茶」と呼ばれる紅茶を、居留地の外国商人を通じて輸出。フランスから20台の織機や糸車を輸入して布を生産するなど、様々な事業を行った。1885年には鰯網工場を建てたが、育児施設としても使い、現在は「ド・ロ神父記念館」となっている。旧出津救助院(※1)は、近代日本における西欧建築の受容を示す歴史的建造物として、2003年に国の重要文化財に指定された。


(※1)マカロニ工場、鰯網工場を含む

住所 長崎県長崎市西出津町2633
ミサの時間 <ミサ>
・毎日(第1・第3日曜を除く) 6:00~7:00
・第1&第3日曜 9:00~10:00
・土曜 19:00~20:00
<教会学校>
・水曜 16:00~17:00(偶数月の第4水曜日ミサ)
見学受付時間

09:00~12:00/13:00~17:00 教会守常駐


・見学をご希望の場合は、当センターへ事前連絡をお願いします。
http://kyoukaigun.jp/reserve/list.php

・ミサ・葬儀等の教会行事の際には、見学できません。

・定例ミサ等の時間は、上記の「ミサの時間」でご確認ください。

・葬儀等の場合は、トップページのトピックスにてお知らせします。
http://kyoukaigun.jp/news/detail.php?id=39

出津教会堂 駐車場マップ


※教会敷地には見学者用のトイレはありません。近隣駐車場等のトイレをご利用ください。周辺散策マップにてご確認をお願いいたします。 


【旧出津救助院】

・入館料/大人400円(350円) 中・高校生250円(200円) 小学生200円(150円)
※カッコ内は10人以上の団体料金
休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)、12月29日~1月6日
・開館時間/火~土曜日9:00~17:00、日曜日・8/15・11/7・12/25、11:00~17:00
(入館受付16:30まで)
・TEL 0959-25-1002


【ド・ロ神父記念館】

・入館料/一般300円(240円) 小・中高生100円(60円)
※カッコ内は10人以上の団体料金(外海歴史民俗資料館と共通入館券)
・休館日/12月29日~1月3日
・開館時間/9:00~17:00
・TEL 0959-25-1081
※外海歴史民俗資料館(TEL 0959-25-1188)の休日、開館時間はド・ロ神父記念館と同様です。

交通アクセス

【アクセス参考図】

・ページ左側の青ボタン(PDF)

周辺散策マップ

・ページ左側の緑ボタン(PDF)

この資産へのアクセス、周辺散策の参考としてご利用ください

 

教会に隣接する駐車場は信者用になります。

※ミサが実施される場合には、一般の方の駐車はできません。

※現時点の取扱いであって、見学者の増加に伴い変更されることがありますのでご了承ください。

 

教会に向かう道路へは大型車両(マイクロバス以上)が進入できません。

大型車両は外海歴史民俗資料館の駐車場をご利用ください。

出津教会堂

出津教会堂の正面
出津教会堂の正面
出津教会堂の遠景
出津教会堂の遠景
旧出津救助院
旧出津救助院

キリスト教文化遺産群

~ 世界遺産 ~

大浦天主堂大浦天主堂(おおうらてんしゅどう)
大浦(おおうら)地区(長崎市)
外海の出津集落外海(そとめ)出津集落(しつしゅうらく)
外海(そとめ)地区(長崎市)
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外海(そとめ)地区(長崎市)
黒島の集落黒島(くろしま)集落(しゅうらく)
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平戸の聖地と集落平戸(ひらど)聖地(せいち)集落(しゅうらく)
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頭ヶ島の集落頭ヶ島(かしらがしま)集落(しゅうらく)
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下五島(しもごとう)地区(五島市)
奈留島の江上集落奈留島(なるしま)江上集落(えがみしゅうらく)
(江上天主堂とその周辺)
下五島(しもごとう)地区(五島市)
原城跡原城跡(はらじょうあと)
南島原(みなみしまばら)地区(南島原市)
天草の﨑津集落天草(あまくさ)﨑津集落(さきつしゅうらく)
天草(あまくさ)地区(熊本県天草市)

田平天主堂田平天主堂(たびらてんしゅどう)
平戸(ひらど)生月(いきつき)地区(平戸市)
日野江城跡日野江城跡(ひのえじょうあと)
南島原(みなみしまばら)地区(南島原市)
堂崎教会堂堂崎教会堂(どうざききょうかいどう)
下五島(しもごとう)地区(五島市)
大村純忠終焉の居館跡大村純忠終焉(おおむらすみただしゅうえん)居館跡(きょかんあと)
大村(おおむら)地区(大村市)
雲仙地獄雲仙地獄(うんぜんじごく)
島原(しまばら)地区(雲仙市)

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