世界文化遺産エリア内の教会見学は
【事前連絡】をお願いします。
※大浦天主堂の見学には、事前連絡は必要ありません。
※対象となる教会は、一覧表示に掲載の9つの教会です。

■事前連絡確認

教会見学に当たってのお願い

教会堂は「祈りの場」ですので、見学マナーを守り、厳粛な雰囲気の中で心静かにお過ごしください。教会行事(ミサ、葬儀等)により見学できない場合や、一度に多くの見学者を受け入れられない場合もあるため、見学を希望される際には【事前連絡】をお願いしています。
なお、大野教会堂については、外観のみの見学になります。
田平天主堂は、世界文化遺産に関連する重要な文化財として多くの皆様にご訪問いただいている現状を踏まえ、同様に事前連絡をお願いしています。

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外海の大野集落

西彼杵半島中部の外海地区は、出津(しつ)や黒崎などを中心に、禁教後も信仰を守る潜伏キリシタンが多かった。出津に近い大野地区の潜伏キリシタンは、平戸藩主に棄教を迫られて藩を脱した籠手田(こてだ)一党の末裔とされる。また、肥後南部を支配したキリシタン大名・小西行長が亡き後、移り住んだ家来の子孫もいるという。


開国後、明治政府は禁教を続けたが、「浦上四番崩れ」などの迫害に対する西洋諸国の批判で、1873年には信教の自由を黙認した。その少し前、大野地区の信者が信仰を表明すると棄教を迫られたが、次第に黙認されるようになり、約30戸がカトリックに復帰する。


1879年、外海地区に着任したド・ロ神父は、26戸の信者と力を合わせ、1893年に大野教会を完成させた。民家を思わせるような教会で、現地の石を積み上げた外壁(※)は、独特の風合いを醸し出している。ド・ロ神父の建築技法が典型的に表れている教会として、2008年に国の重要文化財に指定された。


(※)ド・ロ神父考案の「ド・ロ壁」

 

大野地区は、長崎市中心部から北西へ25㎞、西彼杵半島のほぼ中央にある大野岳の麓に位置し、出津(しつ)地区に近い。鎌倉時代には神浦(こうのうら)氏が支配していたが、後藤貴明と大村純忠が戦った1566年の「野岳の合戦」では父の神浦正俊は後藤、子の正信は大村に従い、大村純忠の勝利で正信が神浦家を継ぎ、西彼杵半島一帯は大村領に組み込まれていった。この地のキリスト教は、長崎開港の翌年である1571年にはガブラル神父らによって布教が始まり、領主の正信とその一族が洗礼を受ける。神浦レジデンシア(※1)や教会ができ、神浦から大野、出津などにかけて5,000人近い信者がいたとされる。しかし、大村純忠を継いだ大村喜前(よしあき)は1606年に棄教し、徳川幕府の禁教令が出されると厳しく取り締まった。西彼杵半島でも、1629年に2人の神父が捕まり、信者の殉教が増えた。

こうして、信仰を続ける信者は潜伏キリシタンとなっていった。大野地区の潜伏キリシタンは、2つの流れがある。ひとつは、平戸から移住した人々で、1599年に平戸藩重臣のキリシタン・籠手田(こてだ)安一と一党600人が平戸藩主・松浦鎮信の弾圧で長崎に逃れ、その一部が大野に再移住したという。もうひとつは肥後の人々で、肥後のキリシタン大名・小西行長が関ヶ原の戦いに敗れて斬首されると、その家来の一部が大野に住み着いたとされる。


開国後、大浦天主堂で信徒発見がなされると、プティジャン神父は密かに出津を訪問しているが、その時に大野の潜伏キリシタンと対面したかは不明である。明確な時期は不明であるが、大野の山本勝右衛門らが信仰を表明すると神浦の役所に呼び出されて、庄屋から撤回を迫られるがこれを拒否。このため、集落の共同井戸を使用させてもらえないなど、村八分状態になった。鰯網漁船への乗り組みも拒絶されたため、別地域の漁船に雇われたところ、豊漁であったのでその金で船や網を買って何とか自活できるようになったという。その後も寺社等から圧力はあったが、次第に黙認されるようになった。なお、この地区では、約30戸がカトリックに復帰したが、潜伏時代の信仰を続ける「かくれキリシタン」が200戸を超えていたという。


1879年、ド・ロ神父が外海地区一帯の主任として赴任し、1882年に出津教会を建てた。次いで大野地区に教会を建設することになり、ド・ロ神父の資金援助と指導の下、26戸の信者が力を合わせ、1893年に現在の大野教会が完成した。一部屋だけの小規模な教会で、外観は普通の民家を思わせる。教会に多い鍾塔やリブ・ヴォールト天井などはないが、レンガによる半円アーチの開口部や小屋組みに木骨トラスが用いられるなど西洋式の技術が見られる。最大の特徴は、現地の石を用いた外壁である。この地方では、地元で「温石(おんじゃく)」と呼ばれる結晶片岩をアマカワ(※2)でつないで塀や石垣をつくってきたが、さらに砂を混ぜて雨に強くする工法を神父が考案し「ド・ロ壁」が誕生。出津地区では、出津救助院や民家の壁などに使われ、地区の特徴的な風景を形成している。大野教会では、温石ではなく地元の玄武岩を使い、風合いの異なるド・ロ壁となっている。2002年から本格的な保存修理がなされ、ド・ロ神父の建築技法が典型的に表れている教会として、2008年に国の重要文化財に指定された。


現在、信者数の減少等もあり、通常は出津教会に通っており、大野教会は記念ミサや葬儀などの特別な時に使われている。


(※1)支部修道院
(※2)赤土や石灰にノリを混ぜた接着剤

住所 長崎県長崎市下大野町2619
ミサの時間 特別に実施する場合あり
見学受付時間

9:00~12:00/13:00~17:00 教会守 ※原則、火・木・土・日駐在

内部は非公開となります。 

※10月:常駐

・見学をご希望の場合は、当センターへ事前連絡をお願いします。
http://kyoukaigun.jp/reserve/list.php

・ミサ・葬儀等の教会行事の際には、見学できません。

・定例ミサ等の時間は、上記の「ミサの時間」でご確認ください。

・葬儀等の場合は、トップページのトピックスにてお知らせします。
http://kyoukaigun.jp/news/detail.php?id=39


※教会敷地には見学者用のトイレはありません。近隣駐車場等のトイレをご利用ください。周辺散策マップにてご確認をお願いいたします。 

交通アクセス

【アクセス参考図】

・ページ左側の青ボタン(PDF)

周辺散策マップ

・ページ左側の緑ボタン(PDF)

この資産へのアクセス、周辺散策の参考としてご利用ください。

【カーナビ検索の注意点】
大野教会堂を検索する際に、佐世保市にある「大野教会」に誘導する事例が発生しております。表示されている住所が「長崎市」であることをご確認ください。
また、出津教会堂(外海歴史民俗資料館駐車場)から大野教会堂(上大野駐車場)までは、車で約5分です。

大野教会堂の正面
大野教会堂の正面
大野教会堂の側面
大野教会堂の側面
大野教会堂の遠景
大野教会堂の遠景

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