Touching history 教会を訪れる

田平天主堂

平戸・生月地区(平戸市)平戸地区
事前連絡が必要です。

田平天主堂は世界遺産構成資産外ではありますが、「長崎と天草地方潜伏キリシタン関連遺産」に深いかかわりのある教会として、事前連絡制度対象に加えられています。

田平天主堂(カトリック田平教会) ※構成資産外
Tabira Church

田平教会への訪問にあたって

カトリック田平教会は、1914年に着任した中田藤吉神父指導のもと、鉄川與助の設計施工により1918年に建設された教会です。
世界遺産構成資産外ではありますが、「長崎と天草地方潜伏キリシタン関連遺産」に深いかかわりのある教会として、事前連絡制度対象に加えられています。
日常的にミサや各宗教行事がおこなわれている教会です。
併設された案内所に地元の信徒が教会守として駐在し、見学受入体制がとられています。(教会行事等の際には会堂内の見学ができない場合があります)

文化財等

名称区分指定年
田平天主堂国指定重要文化財2003年
この地域におけるキリスト教の歴史(概略)

平戸地方におけるキリスト教の歴史は、1550年にフランシスコ・ザビエル(Francisco de Xavier:1506-1552)がコスメ・デ・トルレス(Cosme de Torres:1510-1570)、ジョアン・フェルナンデス(Juan Fernández:1526?-1567)、鹿児島のベルナルド(日本名不明)を伴って平戸を訪れたことにはじまります。
1557年に松浦隆信の重臣・籠手田氏が受洗して以降、平戸一帯にキリスト教が広まっていく際に、田平地区にも布教が及んだと考えられています。
禁教令以後は弾圧が厳しくなり、各地で殉教が起こるなか、田平では1622年にイエズス会のイタリア人司祭、カミロ神父(Camillus Costanzo:1571-1622)が火刑に処され殉教しました。

平戸地方ではキリスト教迫害が厳しくなるとともに、生月と平戸島西岸においてキリシタンの潜伏が集中しました。

田平教会の沿革

1886年当時の黒島主任司祭のラゲ神父(Emile Raguet:1854-1929)と出津の主任司祭ド・ロ神父(Marc Marie De Rotz:1840-1914)によって、横立(よこたつ)の山野が購入されました。
それぞれ一町歩ほどの土地に、3家族と4家族とが移住したのを契機に、各地からの移住者が増えていきました。
教会建設のための敷地が購入されたのは1899年、仮聖堂が建立されたのが1903年頃のことでした。
聖堂建設は1905年に着任した片岡高俊神父から、1914年に着任した中田藤吉神父に引き継がれ、1915年12月に建設工事着手となりました。

工事の進捗は資金難などの理由により大幅に遅れ、1918年春に竣工し、同年5月14日にコンバス司教(Jean Claude Combaz:1856-1926)司式で献堂式がおこなわれました。
内部空間は奥行のあるトリフォリウムをもつ、高さ10mを超える三層構成となっており、上下の窓にはステンドグラスが嵌めこまれています。
2003年に国の重要文化財に指定されています。

周辺環境と立地

田平教会は平戸瀬戸を望む標高100mの台地先端部に位置し、海岸から約250m離れた場所に建っています。海岸と教会の間は山林となっており、背後は県道とそれに沿って畑が広がっています。
教会の北側には墓地が接し、南には司祭館とその奥が信徒会館となっています。
教会正面の西側には貝殻焼き場跡が残っており、その脇の門柱からは石段が伸びてルルドがおかれています。
石段の両側に築かれた石垣や、貝殻焼き場跡など周辺の景観や平戸瀬戸を望む景色は良好です。

概要

事前連絡必要
住所長崎県平戸市田平町小手田免19
ミサ・行事日曜日 8:30~10:30
※教会行事など上記以外の見学受入不可日時はこちらでご確認ください
見学受付時間9:00~12:00/13:00~17:00 (案内所内教会守常駐)
関連データファイルごみの投げ捨て等防止重点地区の図面 【PDFファイル(約200KB)】

交通アクセス

アクセスマップ

ギャラリー