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黒島天主堂(黒島の集落)
黒島天主堂(黒島の集落)
Kuroshima Church(Villages on Kuroshima Island)
黒島教会への訪問にあたって
構成資産「黒島の集落」にあるカトリック黒島教会は、パリ外国宣教会のフランス人司祭、マルマン神父(Joseph Ferdinand Marmand:1849-1912)の設計により、1902年に建設された教会です。黒島小教区の教会として、日常的にミサや各宗教行事がおこなわれています。
地元の信徒が教会守として駐在し、見学受入体制がとられています。(教会行事等の際には会堂内の見学ができない場合があります)
構成資産に含まれる文化財等
名称 | 区分 | 指定年 |
佐世保市黒島の文化的景観 | 国選定重要文化的景観 | 2011年 |
その他の文化財等
名称 | 区分 | 指定年 |
黒島天主堂 | 国指定重要文化財 | 1998年 |
この地域におけるキリスト教の歴史(概略)
江戸時代の黒島には平戸松浦(まつら)氏の家臣が居住するほか、農業や漁業の他平戸藩の軍馬を飼育する放牧地であったといいます。島を領有した平戸藩・西丈右衛門という武士は仏教徒であったようです。
キリスト教伝来に関しては、平戸藩家老・山口治左衛門の移住を契機とする説、江戸時代後期に牧場を廃止し、外海や生月(大村藩)からの入植者の中に潜伏キリシタンが多く存在したとする説があります。禁教下の潜伏キリシタンたちは、寺請制度に従い曹洞宗興禅寺の檀家としてふるまいつつも、信仰を続けたといいます。
高札撤廃後の信仰黙認時代以降を迎えると、島内の8割を占める信者全員がカトリックに復帰しました。
黒島教会の沿革
黒島に教会が設立されたのは1874年との記録がありますが、司祭が常住したのは1897年、マルマン神父の着任がその最初でした。同じ年に黒島小教区が誕生しています。
マルマン神父が赴任する以前、1878年に、当時平戸の紐差教会に赴任していたペルー神父(Albert Charles Arsene Pelu:1848-1918)により、黒島の中心部の土地(現在地)が購入され、工期2ヶ年ほどで木造の教会が建設されました。
1897年、マルマン神父は新聖堂を建設する目的をもって来島し、自ら設計、工事監督等を務めたといいます。
工事は一時中断などののち、1902年6月10日クザン司教(Jules Aophonse Cousin:1842-1911)によって祝別されました。
マルマン神父による木製の説教壇やシャンデリアといった調度類、内陣の床面に貼り詰められた有田焼タイル、束ね柱の土台に使用されている黒島御影石など、創建当時の調度が残り、また地方色を表す特徴がいくつもある教会です。
1998年に国の重要文化財に指定されました。
周辺環境と立地
佐世保九十九島のひとつである黒島は、島全体が重要文化的景観として世界遺産の構成資産として指定されています。
周囲約12.5km、面積は約5.3平方km程で九十九島最大の島です。
黒島教会は島の中心部、名切(なきり)に建設されました。新聖堂を建設する際、規模が大きくなったために敷地の西側を拡張しています。
強い北風が吹き付ける高台に立地しており、水はけが良いことから聖堂の床下はよく乾燥しています。
概要
事前連絡 | 必要 |
住所 | 長崎県佐世保市黒島町3333 |
ミサ・行事 | 木曜日 15:30~16:30 (教会学校) ※教会行事など上記以外の見学受入不可日時はこちらでご確認ください |
見学受付時間 | 9:00~12:00/13:00~16:00 (教会守常駐) |
関連データファイル | ごみの投げ捨て等防止重点地区の図面 【PDFファイル(約100KB)】 |