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旧野首教会(野崎島の集落跡)

小値賀地区(小値賀町)佐世保・北松浦地区
事前連絡が必要です。

旧野首教会は、「おぢかアイランドツーリズム」が受付窓口のとなっております。訪問を希望される方は「おぢかアイランドツーリズム」の案内に従い、事前連絡をお願い致します。

旧野首教会(野崎島の集落跡)
Former Nokubi Church(Remains Villages on Nozaki Island)

旧野首教会への訪問にあたって

構成資産「野崎島の集落跡」にある旧野首教会は、中田藤吉神父が発注し、鉄川與助の設計施工で1908年に建設された教会です。1971年にこの地区の6世帯が離島して廃堂となるまで、カトリック野首教会として日常的な典礼・行事等がおこなわれていました。
現所有者の小値賀町により管理・保全され、地元の特定非営利活動法人「おぢかアイランドツーリズム」により受入体制がとられています。

※2023年10月1日より、修復工事のため見学不可となっています。詳細はこちらをご確認ください。
おぢかアイランドツーリズム「旧野首教会保存修理工事について」のお知らせ

構成資産に含まれる文化財等

名称区分指定年
小値賀諸島の文化的景観国選定重要文化的景観2011年

その他の文化財等

名称区分指定年
旧野首教会長崎県指定有形文化財1989年
この地域におけるキリスト教の歴史(概略)

野崎島には、704年建立の沖ノ神島神社があり、その神官を中心とした小規模な集落をもつ島でした。
1797年以降の大村藩から五島列島各地への農民開拓移住時代に2世帯が移り住み、島の中央部に野首集落が形成されました。
江戸幕府末期には、外海地方の出津地区からとみられる信者数名が小値賀(おぢか)の廻船問屋の手助けにより、島の南端・舟森に住んだことから、舟森集落が形成されていきました。
明治の迫害では野崎島にもその影響が及び、小値賀や平戸に連行され弾圧を受けた者もあったといいます。

野首教会の沿革

1882年、島の中央部の野首集落、南端の舟森集落に、それぞれ最初の教会が建てられました。野首集落に建てられた木造教会は、のちに煉瓦造りの現教会建設が計画され、1908年に建設されました。
現在の教会は中田藤吉神父が発注したもので、鉄川與助の設計施工により1908年10月に竣工しました。クザン司教(Jules Aophonse Cousin:1842-1911)によって10月25日に祝別されています。
高度成長期に入ると野崎島では島民が減少し始め、1971年には野首地区のカトリック信徒6世帯が離島したため、野首教会からは人の姿が消え、廃堂となりました。

その後文化財として維持するため、カトリック長崎大司教区より小値賀町へ寄贈、1989年に長崎県の有形文化財に指定されました。
また、野崎島南端の舟森地区は1966年の小値賀島への集団移住により無人となり、舟森にあった瀬戸脇教会司祭館を小値賀島に移築、カトリック小値賀教会として現存しています。

周辺環境と立地

野崎島は五島列島の北端、小値賀島と平戸島の間に位置しており、北松浦郡小値賀町に属しています。
南北に細長く伸び、中央部が狭くくびれた形をもち、島の多くは急峻な山地なため、限られた平地に集落が形成されました。
旧野首教会の建つ野首集落は島の中央部に位置し、東側に野崎ダム、西側は白浜海岸が広がっています。
住人がいなくなった野崎島には野生の日本鹿が生息しており、島の多くを占める山地には、原生林や希少な動植物などが多くみられます。

概要

事前連絡必要
※見学をご希望の方は下記リンク先から事前連絡をお願いします。
受付窓口:おぢかアイランドツーリズム
住所長崎県北松浦郡小値賀町野崎郷
ミサ・行事なし
見学受付時間9:00~14:00
関連データファイルごみの投げ捨て等防止重点地区の図面 【PDFファイル(約400KB)】

交通アクセス

アクセスマップ

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