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大浦天主堂

大浦地区(長崎市)長崎地区
事前連絡は不要です。
大浦天主堂(旧大浦教会)
Oura Church(Oura Cathedral)

大浦天主堂への訪問にあたって

パリ外国宣教会のフランス人司祭らによって1864年に創建されたカトリック教会です。1975年に新教会が建てられ、現在の「大浦天主堂」はその敷地内の隣接する文化財と共に、歴史を伝える施設・史跡として有料公開されています。
旧羅典神学校と旧長崎大司教館の建物で構成される「大浦天主堂 キリシタン博物館」では、関連する様々な展示をおこなっています。
※開館時間や料金・団体予約については大浦天主堂へお問合せください。

構成資産に含まれる文化財等

名称区分指定年
大浦天主堂国宝1933年(1953年再指定)
旧羅典神学校国指定重要文化財1972年
大浦天主堂境内国指定史跡2012年
南山手伝統的建造物保存地区国選定重要伝統的建造物群保存地区1991年

その他の文化財等

名称区分指定年
旧長崎大司教館長崎県指定有形文化財2011年
この地域におけるキリスト教の歴史(概略)

1865年に大浦天主堂が建設される以前のこの地区のキリシタン史については、その動静を明らかにする資料はほとんど残されていません。

1858年の安政五ヶ国条約締結により日本の5つの港が開放されたあと、ローマ教皇庁よりパリ外国宣教会のフランス人司祭らが日本に派遣されました。
居留地の外国人のために建設された大浦天主堂(日本二十六聖殉教者教会)に、その献堂式から約1ヶ月後の1865年3月17日、浦上のキリシタンたちが参観者にまぎれて教会を訪れます。

その中の一人が聖堂内で祈るプティジャン神父に近づき、自身のキリスト教信仰を告げたことから、禁教令下の日本で250年余り潜伏していたキリシタンの存在が明らかになりました。
日本のみならず世界的にも宗教上の奇跡といえるこの出来事により、大浦は歴史の脚光を浴びることとなりました。

大浦天主堂(教会)の沿革

1864年1月に聖堂建設に着手し、1864年12月29日に竣工、翌年1865年2月19日、ジラール神父(Prudence Seraphin-Barthelemy Girard 1821-1867)司式による献堂式が執り行われました。

1873年に禁教令を示す高札が撤去され、信仰が黙認されると、信者数の増加で教会は手狭になり増改築の必要に迫られました。1879年に着手したその増改築工事で、聖堂の面積は当初の倍の大きさになり、白喰仕上げの外観となりました。
1945年8月9日の原爆投下で被害を受けたため、また老朽部分の補修を兼ねた工事がおこなわれ、1952年6月30日に修復が完了しました。

1933年1月23日付で国宝に指定され、1953年3月31日に国宝の再指定を受けています。
献堂から110年後の1975年、大浦天主堂の向かいにカトリック大浦教会が建設され、日常的な教会としての機能は大浦教会に引き継がれました。

周辺環境と立地

1860年に造成された旧外国人居留地の隣接地にあり、長崎港に面した北斜面の丘陵地を整地して建てられています。

平地になった松ヶ枝地区と、港とを結ぶ道は石畳舗装されており、接道する正門から天主堂までは石段が築かれています。
石段の中段にある旧長崎大司教館の2階部分が接地する上段に、旧羅典神学校が建てられています。
天主堂の裏手(南側)は急峻な崖地として切り立っていることから、正面が北向きとなっており、26聖人殉教地の方角を指す結果となりました。

概要

事前連絡不要
住所長崎県長崎市南山手町5-3
ミサ・行事お電話にてお問合せください
大浦天主堂 095-823-2628/大浦天主堂 キリシタン博物館 095-801-0707
見学受付時間8:30 ~ 18:00(入場受付は17:30まで) ※冬季 8:30 ~ 17:30
駐車場なし(近隣有料駐車場あり)
関連データファイルごみの投げ捨て等防止重点地区の図面 【PDFファイル(約300KB)】

交通アクセス

アクセスマップ

ギャラリー