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江上天主堂(奈留島の江上集落)
江上天主堂(奈留島の江上集落:江上天主堂とその周辺)
Egami Church(Egami Villages on Naru Island:Egami Church and its Surroundings)
江上教会への訪問にあたって
構成資産「奈留島の江上集落」にあるカトリック江上教会は、1906年に建設された初代教会を経て、鉄川與助の設計施工により、1918年に竣工した教会です。
奈留小教区の巡回教会であり、定期的にミサや各宗教行事がおこなわれています。
地元の信徒が教会守として駐在し、見学受入体制がとられています。(教会行事の際には会堂内の見学ができない場合があります)
構成資産に含まれる文化財等
名称 | 区分 | 指定年 |
江上天主堂 | 国指定重要文化財 | 2008年、2012年(追加指定) |
五島列島における瀬戸を介した久賀島及び奈留島の集落景観 | 国選定重要文化的景観 | 2022年 |
この地域におけるキリスト教の歴史(概略)
五島藩主・宇久純定が1562年ごろに病を得、医師の派遣を大村領・横瀬浦に滞在中のイエズス会司祭コスメ・デ・トーレス(Cosme de Torres 1510-1570)に懇請し、その結果ディエゴという日本人キリシタンが派遣されました。ディエゴから病の快癒と、キリスト教についての談話を受けた純定は、五島に宣教師の派遣を望むようになったといいます。
それから数年を経た1566年、イエズス会宣教師ルイス・デ・アルメイダ(Luís de Almeida:1525?-1583)と日本人修道士ロレンソ了斎(1526-1592)が五島に派遣され、宣教活動を開始しました。
五島列島には1606年までの間に宣教師らが幾度も訪れ、信徒は2,000人を超えるほどになりましたが、1614年の禁教令以後にはキリシタン迫害が五島にも及びます。
禁教下には密かに信仰を続けた者もありましたが、外海・平戸地方のように組織的なものではなかったため、次第に衰退したとみられています。
1797年五島の荒地開拓のために大村藩領の外海地方から農民の移住がはじまり、このときに潜伏キリシタンが五島列島に多数入植します。奈留島では葛島から各地区に広がりました。
江上教会の沿革
現在江上教会が建つ土地に最初の教会が建設されたのは1906年でした。その後新たな教会建設が計画され、鉄川與助の設計施工により1917年に現聖堂の建設が開始されます。
建設当時、信徒40戸から50戸ほどで建設されたこの教会は、コンバス司教(Jean Claude Combaz:1856-1926)によって1918年3月8日に祝別されました。
木造で桟瓦葺の重層屋根構成をもち、白い外壁と建具周りには水色が用いられており、柔和な印象を与える外観です。
簡素な構成をもちながら、軒天井飾り及び軒天井に設けられた十字形の穴や、開口部の半円アーチにつけられたモールディングなど、細部には繊細な意匠で飾られています。
2008年に国の重要文化財に指定されました。
周辺環境と立地
江上教会の周囲はタブの巨木に囲まれており、前方には奈留瀬戸が広がっています。
隣接地には廃校となった江上小学校跡と江上川があり、教会裏手の湧水が川へ流れ込むように水路が造られています。
水路を挟んで建つ木造平屋の司祭館は、補修されて現在は教会守の待機場所として使用されています。
海に近く、湧水のある敷地を考慮し、高床にもちあげられた構造と、上述した軒天井の十字形の装飾を兼ねた通風孔により湿害などをよく防いでいます。周辺の自然環境と調和する、豊かな景観をもつ教会です。
奈留瀬戸を挟んで久賀島があります。
概要
事前連絡 | 必要 |
住所 | 長崎県五島市奈留町大串1131-2 |
休館 | 月曜日(祝日の場合翌日)、第3日曜日(教会行事ため敷地内立入不可) ※教会行事など上記以外の見学受入不可日時はこちらでご確認ください |
見学受付時間 | 9:00~12:00/13:00~15:30 (教会守常駐) |
駐車場について | 江上小学校跡(教会敷地内への車両・自転車の乗入不可) |
関連データファイル | ごみの投げ捨て等防止重点地区の図面 【PDFファイル(約40KB)】 |