世界遺産候補エリア内の教会見学は
【事前連絡】をお願いします。
※大浦天主堂の見学には、事前連絡は必要ありません。

■事前連絡確認

教会見学に当たってのお願い

教会堂は「祈りの場」ですので、見学マナーを守り、厳粛な雰囲気の中で心静かにお過ごしください。教会行事(ミサ、葬儀等)により見学できない場合や、一度に多くの見学者を受け入れられない場合もあるため、見学を希望される際には【事前連絡】をお願いしています。
なお、大野教会堂については、原則、内部は非公開のため外観のみの見学になります。
田平天主堂は、世界遺産候補に関連する重要な文化財として多くの皆様にご訪問いただいている現状を踏まえ、同様に事前連絡をお願いしています。

長崎の教会群とは

ホーム > 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産

概要

1549年、宣教師フランシスコ・ザビエルが来日し、翌年に平戸で布教、キリスト教は戦国大名らにも広がりました。初のキリシタン大名・大村純忠が、南蛮貿易港として開港した長崎は教会が立ち並び「小ローマ」とも呼ばれました。島原半島や天草でもキリスト教文化が花開き、4少年を天正遣欧使節としてローマに送り出します。 しかし、豊臣秀吉による伴天連追放令や日本二十六聖人の殉教など流れは変わりました。徳川幕府も鎖国と禁教の姿勢を強め、島原の乱を機に徹底的な弾圧を加えます。仏教に改宗しない信者たちは、神父が不在の中、自分たちで洗礼を行うなど潜伏信仰を続けました。
日本の開国とともに、長崎に外国人のための大浦天主堂が建てられると、浦上村の潜伏キリシタンが訪れて信仰を告白(1865年3月17日)。これが世界宗教史上の奇跡と呼ばれる「信徒発見」です。明治政府になってからも禁教は解けず、「浦上四番崩れ」で信者3千人以上が迫害を受けました。
諸外国の批判の高まりで、1873年にキリシタン禁制の高札が撤廃されます。潜伏キリシタンの多くはカトリックに復帰し、信仰の証として競って教会を建築しました。潜伏していた山中や浦々に建てられた教会は、自らの労働奉仕で造られ、信者の思いの強さがしのばれます。

構成資産位置図

教会を訪れる。構成資産候補紹介

大浦天主堂大浦天主堂(おおうらてんしゅどう)
大浦(おおうら)地区(長崎市)
外海の出津集落外海(そとめ)出津集落(しつしゅうらく)
外海(そとめ)地区(長崎市)
外海の大野集落外海(そとめ)大野集落(おおのしゅうらく)
外海(そとめ)地区(長崎市)
黒島の集落黒島(くろしま)集落(しゅうらく)
黒島(くろしま)地区(佐世保市)
平戸の聖地と集落平戸(ひらど)聖地(せいち)集落(しゅうらく)
春日集落(かすがしゅうらく)安満岳(やすまんだけ)
中江ノ島(なかえのしま)
平戸(ひらど)生月(いきつき)地区(平戸市)
野崎島の集落跡野崎島(のざきじま)集落跡(しゅうらくあと)
小値賀(おぢか)地区(小値賀町)
頭ヶ島の集落頭ヶ島(かしらがしま)集落(しゅうらく)
上五島(かみごとう)地区(新上五島町)
久賀島の集落久賀島(ひさかしま)集落(しゅうらく)
下五島(しもごとう)地区(五島市)
奈留島の江上集落奈留島(なるじま)江上集落(えがみしゅうらく)
下五島(しもごとう)地区(五島市)
原城跡原城跡(はらじょうあと)
南島原(みなみしまばら)地区(南島原市)
天草の﨑津集落天草(あまくさ)﨑津集落(さきつしゅうらく)
天草(あまくさ)地区(熊本県天草市)

関連遺産
related sites

田平天主堂田平天主堂(たびらてんしゅどう)
平戸(ひらど)生月(いきつき)地区(平戸市)
日野江城跡日野江城跡(ひのえじょうあと)
南島原(みなみしまばら)地区(南島原市)

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